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ロ地区(舞鶴山地下壕、仮御座所)立ち退き証言

「立ち退きは、3段階である。

  1. 1945年4月5日より、1週間以内(10軒くらいが対象)。
  2. 1945年4月末日まで。
  3. この中間。

 入筒井で90戸、中村9戸、鹿島5戸が立ち退いた。」

「一人当たり畳は3枚持って出た。後は置いていけと言われた。瓦はダメと言われた。」

「立ち退いた大きい家は、大工、左官や勤労報国隊の宿舎にあてた。小さい家は、コンクリートやベニヤの資材置き場に使った。」

「昼間は、軍用トラックのじゃまになるので朝晩親戚に手伝ってもらい、大八車で運んだ。」

「衛門で屋代中学の生徒が弁当箱の検査をされ、クギが入っていてひっぱたかれた。」

→「松代大本営」工事による地元の被害