HOME > 松代大本営とは > 「慰安所」
→サイトマップ

「松代大本営」工事に伴っておかれた「慰安所」

慰安所外観-jpeg 19KB
 アジア・太平洋戦争末期、松代を中心に天皇や軍、政府の中枢を移転させるための巨大な地下壕掘削工事(「松代大本営」工事)が行われた際、工事を指揮する人々のために「慰安所」が作られ、年若い朝鮮人女性たちが「慰安婦」として性的サービスを強要されていた。

 松代町西条の民家の敷地内にあった建物が借り上げられ、「慰安所」とされた。持ち主の証言によると、開設した1944年の秋までに、3~4人の朝鮮人女性が「慰安婦」として連れてこられた。この建物は本来、工場の娯楽室や蚕室として使われていたものだったが、やってきた警察官に「国策に協力できないのか」と脅され、借り上げられたという。

 連れてこられたのはいずれも20歳前後の若い女性で、客は日本人や比較的高い地位にいた朝鮮人だったという。関係者の証言では、このうち「金本順子」という日本名をつけられていた女性は、慶尚南道の農村出身で、「役場の人に特殊看護婦になれると言われて」強制的に日本に連れて来られたと語っていたという。日本の敗戦後、女性らは母国へ引き上げていったらしいが、その後の消息は知れない。

 この「慰安所」として使われた建物は、1991年まで残っていたが、現在は解体され「歴史館」建設のために保管されている。

→「慰安所」に使われた建物の経緯 2000/10/1 Up

→ミニ写真展 2005/10/9 Up

→日本軍性暴力被害者の裁判
 (下関判決を生かす会のサイトへ)