そもそもこの建物は、明治末期(あるいは大正初期)に、当時松代にあった製糸場の本六工社(もとろっこうしゃ)で働く女性たちの集会場として作られた。
1937(昭和12)年、工場の敷地と共に転売され、蚕室などに使われた。
1944(昭和19)年10月、地下壕工事の朝鮮人労働者用バラックを建てる大工の宿舎に使われた。11月、警察の指示で半強制的に借り上げられ、松代大本営工事を指揮する関係者の宴会場兼「慰安所」として1945(昭和20)年8月まで使われた。
戦後しばらく貸家として使われた後、廃屋に。
諸般の事情により取り壊しに直面。「“歴史の証言者”として保存を」との呼び掛けに賛同する人々の支援と資金で、復元を前提に解体。建築資材は実行委員会の倉庫に保管されていた。
解体した建築資材を使用し、「もうひとつの歴史館・松代」2部屋の改築・増築を行った。