戦況が悪化し、日本本土への空襲が避けられなくなってきた1944年初め、大本営の安全な場所への移転が、陸軍の井田少佐から陸軍次官へ提言された。その後5月初旬に信州で移転先となる適地を探した結果、松代が適当となり、調査・設計などの工事の準備がすすめられた。大本営移転先の適地とされた理由としては、次のようなものがあった。
同年9月には、陸軍大臣から着工命令が出た。すぐに資材搬入を開始し、10月には朝鮮人労働者用の飯場ができ、事実上の工事が始まった。そして、地下壕を掘削する第1号発破が、11月11日に象山(イ地区)でかけられたのである。
また、天皇御座所については、この翌年、1945年3月に着工命令が出された。